アーティストインタビュー「TSUKA」前編
いくつかのバンドに参加し活動するミュージシャンは数多くいれど、15個ものグループに参加し、
そのすべてが現在進行形で活動しているというミュージシャンはそうそういない。
エレキギター、ガットギター、アコースティックギター、更にはバイオリンまで弾きこなし、
パンク・ハードコア、歌もの、ドゥーム・ストーナー、ジプシーなインストなどあらゆるジャンルを行き来する超人、TSUKAさん。
その驚異的な活動ペースと強烈な演奏に、大阪のライブハウスに出入りしている人ならきっと「あ、あの人!」ピンとくるでしょう。
西岡です。三国ヶ丘FUZZで店長、難波BEARSでPA。
絵を描くのが好きです!
バンド→「コロコロボンボンズ」でDr&Vo「楽しんでいこうや西岡と狂ったチワワズ」で
Gt&Vo。最近はソロライブもやってます。
– よろしくお願いします!早速なのですが、三国ヶ丘周辺が青春の場所なんですよね。
TSUKA:そう。それこそ高校生の頃、FUZZの上でよく遊んでいました。
-その時にはもう音楽をされていましたか?また、音楽を始めるきっかけは?
TSUKA:楽器に触ったのは7歳の時。ギターよりも先にバイオリンを弾き始めた。(バンド、OHYEAH!ではバイオリンを担当)クラスメイトの子が弾いてて、弾かせてもろて、めっちゃおもろいなと。
でも、それよりずっと前から音楽は好きで幼稚園で鍵盤ハーモニカでウルトラマンの歌を演奏するんやけど、曲中に一瞬だけ速いパッセージがあるのよ。それを先生が子供にも弾きやすいように簡略化してくれるねんけど、それが僕どうしても納得できなくて(笑)
-幼稚園ですでに音楽へのこだわりが!
TSUKA:そう(笑)で、小学校にあがってからもハーモニカが吹けたら◎のシールもらえるみたいなのがあって、クラスのみんなは1個もらえたくらいのタイミングで僕はもう全部。それでバイオリンに出会って、もっと音楽への興味が深くなって。
-なるほど。そこからどうロックバンドを始める流れになっていくのでしょうか?
TSUKA:今の言葉で言う「ビジュアル系」に出会って。でも当時はビジュアル系っていう言葉はなかったね。
中学生の時にバイオリンの先生に「僕、ロック好きなんです」と言ったら、「ロックもいいね」って結構話聞いてくれて。有名な先生やったみたいやねんけど、めちゃくちゃ理解のある先生で、ギターとバイオリンを並行してやってた時期もあった。とにかく速くて派手なのが好きで。わかりやすいのでいうとXとか。高校生の時にバンドを組んで、TEEN’S MUSIC FESTIVAL(YAMAHAが主催し開催されていた10代限定音楽コンテスト)
-TEEN’S MUSIC FESTIVAL!
TSUKA:堺東にYAMAHAがあって。いつもそこで楽器の弦とか買ってたから。んで3回出てる。16歳、17歳、18歳の時に。その大会でマロニー(現HISATAKA★Vo.)と対決してるねん。18歳の時。
-コンテストでTSUKAさんとマロニーさんが対決…全然想像つかないです。もうオリジナル曲を演奏されてたんですか?
TSUKA:16、17の時はコピーで、18の時はオリジナル。んで、マロニーが優勝して僕らのバンドが準優勝してん。でも全然納得いかんくって、審査員室に怒鳴り込み。
-怒鳴り込み(笑)とはいえ一回出た審査結果はそうそう覆らなさそうですけど…
TSUKA:そしたら「音源はありますか?もし音源があれば、それを持って上層部にかけあってみることはできるかもしれません」て言われて。すぐさま初めてのレコーディング。子供やから真に受けて、一生懸命。セルフやけどね。TASCAMの4トラックのMTRで…。まあ言いくるめられたというか…。でもその時の音源がこないだ実家から出てきて!!
(当時の音源を聴かせてもらう)
-これが全員10代の演奏!?めちゃくちゃ上手いですね。IRON MAIDENみたいな…高校卒業後もこのバンドを続けていかれたのでしょうか?
TSUKA:いや、高校生のときだけのバンドで、ドラムが東京に行って、高3の途中くらいからもう空中分解してた。ベースの子は名古屋に行って。でもしばらくして、日本バンド図鑑みたいな?あれ読んでたらみんな居て。みんな続けてたんやな~って。僕も高校出てもバンドやりたいなーって思ってた時に、同じ高校の子がやってたバンドも同じように解散してて。その子と1からまた新しくバンド始めて、それが初めての本格的な活動やった。BRAINSHAKEってバンド。それで19歳の時かな、初めてROCKETSに出て(※難波ROCKETS:南海難波駅近くにあったライブハウス)50枚以上チケット売ってん。
-50枚!それはかなりすごいですね。
TSUKA:んで、僕たちとしては「やったぜ!」と。終演後、意気揚々とブッキングマネージャーに話しに行ったら「チケット売らんでいいから、ROCKETSのバンドとしてのライブをしてほしいな」って言われて。それがすごい、いい言葉やなって思って。
-その方が言う「ROCKETSのバンドとしてのライブ」とはどういう意味だったんでしょうか。
TSUKA:遊び場やから。誰が出るか関係ない人もいっぱい来るわけで、そういう人たちが来たときに「なんだコレ?」ってならないようにって事かな。フラッと遊びに来て、お酒飲んでご飯食べて、当時のライブハウスはご飯あるとこ多かったから。それでバンドを見る。そういう開かれた遊び場としてライブハウスが在るためには、発表会みたいな演奏はしてほしくないなって事やったんやと思う。僕は今でもその言葉はすごく残ってて、誰にでも開かれた場所で演奏しているって意識は大切にしてる。僕がHOKAGE(※アメリカ村にあるライブハウス)に出続けてるのも、スタンスと合ってるというか。
-確かに平日のHOKAGEはめちゃくちゃ開かれてますね(笑)
それこそフラッと人が入ってきて、良い演奏をすればちゃんと盛り上がってくれますもんね。
TSUKA:2000年ぐらいからライブハウスが遊び場じゃなくなった時があって、それまで居た「誰目当てでもなくライブハウスに来てます」って人が少なくなって出演者の友達だけ来て。そういう空気感になってきたときに新神楽(※アメリカ村のライブハウス)とHOKAGEの、柴田ってヤツやねんけど。「ライブハウスはそうじゃない!遊び場としてのライブハウスを取り戻そう!」って立ち上げたのがHOKAGEなんよ。
2000年代はライブハウスが出演者にめっちゃノルマ取るとか、あんまよろしくない方法が主流になってた時期やったから、当時としてはHOKAGEは珍しいスタンスの箱やった。今でいうと戦国大統領(※大阪・緑橋駅にあるライブハウス)であったりとか。「とりあえず来てね~」って言えるような。当時は1日に6組か7組バンドが出るのが当たり前の中、HOKAGEはツーマンしてたりとか。
-今でこそとにかくバンド数呼んで、がっつりノルマかけて、みたいなライブハウス無くなってきましたけど当時はめちゃくちゃでしたよね。知らんライブハウスからはじめまして!ノルマは2000円×15枚です!とか。
TSUKA:僕、今でも来るで(笑)
-えっ!?!?
(最近来たというオファーを見せてもらい爆笑)
-話は戻りますが、高校卒業後にBRAINSHAKEとしての活動と並行して、すでにいくつもバンドをされいたんですか?
TSUKA:ううん。やってるバンドが増えたのはもっと後。BRAINSHAKEは3年くらいしかやってなかったから。
僕が22歳とかやらから、1996年ごろかな?みんな、結婚したりとか仕事が超忙しいとかであんま練習できなくなってて。その時僕はもうバンドしかないってなってたから「こんなゆるいバンド嫌や!」って脱退した。後にも先にも自分から抜けたのはその一回だけやねん。で、もっとちゃんとやれるやつとバンドやりたいってなって作ったのがDROWNED MIND。ドラムはマロ。(TSUKAさんがVo.を務めるバンド、TSUKAMAROのドラマー)メンバー探すときにドラムだけ見つからんくて、いろんなツテ当たりまくって「ドラム叩いてるやつおるで」って紹介されてきたんがマロ。で、話したら高校一緒で。
-そんな身近に居たなんて!灯台元暗しですね。
TSUKA:一個下で、大学は一緒に入って、大学卒業したんは奴のほうが3年くらい早い(笑)
家もめっちゃ近所やって遊びに行ったりしてんけど、宅配ピザの空き箱と、漫画雑誌と、ドラムパッドしかない部屋。
-(笑)
TSUKA:マロは軽音サークルにも入ってたし、スラッシュメタルやハードロックのバンドやってたり、ビジュアル系バンドもやってた。その時のステージネームが漢字でマシュマロやねん。どんな漢字やったかな?魔法の魔に珠、マロは貴族の麻呂みたいな。
-魔珠麻呂!!!!
TSUKA:それでしばらくはDROWNED MINDとして活動しててんけど。2012年までやってたのかな。
ベースがコロボックルズってバンドを並行してやってたんだけど、そっちが忙しくなってなかなかライブ決めれなくなって。一回止めましょうってなって。それでマロと新しいバンドやろうってなってんけど、あんまりグダグダするのも嫌やなって思って、HOKAGEの佐野に連絡して「新しくバンドやるから、とりあえずなんでもいいからブッキング突っ込んでくれへんか?」みたいな。それで3か月後にデビューライブが決まって。そしたら佐野から「バンド名なんですか?」て訊かれて、そういやバンド名決めるの忘れてたって思って。とりあえずTSUKA&MAROって名乗って。でもみんながツカマロ、ツカマロって呼ぶから、そっちのが語呂ええなって思ってツカマロに。
-僕がTSUKAさんとはじめて共演したのもその辺りと記憶しています。僕がワニのいる生活、TSUKAさんがパンプキンスニーカーズでした。
TSUKA:パンプキンスニーカーズは、TSUKAMAROより前に立ち上げてんねん。ギターのAKIRAが当時CYBERNE、ベースがknelltってバンドをやってた。みんなでHOKAGEのバーで飲んでて。僕はジプシージャズにハマってて、たまたまそんな話をしたんかな?Rosenberg Trio(オランダのStochelo Rosenbergというギタリストのバンド)の話をしてたらAKIRAが「実は僕はフラメンコ練習してて」って言っててベースの子はジャズが好きで、じゃあ3人で合わせてみよっか!って各々課題曲を持ってきて、公園で練習した。当時、ベースもウッドベース弾いたことなくて、僕もアコギ持ってなかったから、アコギを買いに行って。コードも謎すぎるし…ロックと全然ちゃうやん、みたいな。
-すごい、持ってない楽器を買うところから…本当の意味で1から作られたバンドだったんですね。
ちょうどその2012年あたりからバンドが増え始めていくんですよね?
TSUKA:そう。The Probesのシェーンってわかる?あいつが前のバンドなくなって。んで僕らもちょうどDROWNED MINDがなくなって。シェーンの前のバンドも僕手伝ってたりしてんけど。
「お前らDROWNED MIND無くなって暇やろ」って僕とマロが同時に誘われて。いや僕らもちょうど二人で新しくバンド立ち上げたところやねん、って言ったんやけどシェーンはバカだから「関係ないから一緒にやろう」って。この時エークソダスもやってたからこの時点で4組。その次はマサカリかな。僕もともとマサカリめっちゃファンでずっと見に行ってて。でも僕の前任のギターの子があんまり向いてないなって思ってた。ある日、見に行ったライブもあんまりやな…という出来で、家帰ったら電話があって。「あ、多分これはそういうことやな」と思って。
-ギターを弾けという電話だと。
TSUKA:そう。それで加入した。ノラ一味がこの次で、日曜日のライブの打ち上げで、翌日もライブあるって言ってて「TSUKAさん、ハードロック的なリード弾いてもらえないですか?」って言われて
-翌日に!?ハードロック的なリードを?
TSUKA:「おう、やるわ」って。
-やるんだ。
TSUKA:でも、自分もノラ一味好きやから曲覚えてるわって思ってたけど、結構キメとか多いからさ、今回のはあんまりやったからスタジオでちゃんと合わしてライブしたいな。みたいな話をしてるうちに今に至って。なんならメンバーというよりただの一味やね。僕抜きでもガンガンライブやるしね。
-続く-
ライブ情報
2023.12.15(Fri.) 三国ヶ丘FUZZ
「#STDRUMS x TSUKAMARO RICH FOREVER PETIT TOUR」
OPEN 18:30 / START 19:00
TICKET ¥2000 +1D
#STDRUMS / TSUKAMARO / ハレルヤ / コロコロボンボンズ